昭和45年1月9日 夜の教話     (末永信太郎)


 四時の御祈念の時に、久留米の佐田さんたちが親子で2度目のお参りをさrてお届けをされますのに、昨日があちらの信心実習会であった。信心共励会があちらでございましてから、本当にもう、考えて見ればみるほど、うち辺りぐらいの、まだ年も浅い信者のところで、まあ、椛目の時代から合楽の、まあ、中堅と言われるような信者さん方がみんな集まって信心の話し合いが出けるということは、何ちゅう有り難いことじゃろうかというようなことから、恵介くんが朝のお参りをするようになって、今日が丸一年だそうです。
 もう、良う、その一年間続いたことが、恵介自身も大変、まあ、嬉しゅうらしくて、これから、そのいよいよファイトを燃やして、朝参りに、またこれから精進するといったような意味のことを今日お届けしておられましたが。いろいろ、もう、お礼を申し上げることばっかりの事の中に、お互い、こうやって信心のけいこをさせて頂いておりますから、例えば、あちらのおばあちゃんの場合でも、あの年で毎朝、朝早うから出てみえる、と。まあ、今年がちょうど満70才だそうですが。年はとらせて頂いても、信心は日に日にさら、新しくなって、一年一年若うなって行きよるということ。
 だから、おばあちゃんも、あなたは着物を作りになるでも、下駄を買われるでも、もう、一年ずつ若いとば買うて来なさらにゃいかんですよと言うて、そう言やあ最近、非常に派手な着物を着て見えますもんね、おばあちゃん。下駄なんかでも、もう、一年一年、若返った今度は履きなさらにゃ、あの、買いなさらにゃいかんですよと言うて、まあ、喜び合っとりますち言って、言うておられますがね。
 本当にもう、その、一家あげての信心生活というものが、こんなにも嬉しい、有り難いものだ、と。今日も先生、そのことを色々、その話しよりましたら、もう、二人が有り難うなってから、おばあちゃん、猛一遍お礼に出ましょうやち言ってから、今日はお礼に出てきましたとこう言うて、言うておられます。
 子供達でも、ああして、いつのまにか信心にお育て頂いて。昨日も、あの、恵介くんが学校から帰って来て遊びに行くのに、自転車で行くて言うから、恵介くん、自転車で行っちゃ危ない、もう、あそこは歩いて行きなさいて言うて、その、家から(おらんだらね?)、「お母さん、まあだ分からんの」ち言うちから、言うそうですたい。僕はね、あの自転車の入れてある倉庫が詰まっとる時には、もう、お許し頂かんもんと思うて、歩いていつでん僕は行きよるでしょうがち、だから、開いとる時には、これはお許し頂いた時と思うとるけん乗って行くばってん、だからお母さん、これ見たっちゃ安心せにゃいかんじゃないねち言うてから、恵介から言われたっち。だから、僕も安心して乗って行くち。
 だから、あの、ほら、今日はもう詰まっとるけんで、お母さんが言わんでん、ちゃんと僕は今日は乗って行かんて言うわけです。本当にもう、最近言われておる、そのリズムに乗った生活というようなことなんかは、もう見事にその、いわば、年はあんまり行かんね、まあ、八つでしょうか、ぐらいな子供がそうして信心を頂いて行きよる。本当にもう、毎朝一年間、お参り続けてから、自分もそれがとっても嬉しいらしいと言うて、言うておられます。もう、その様々な、まあ、沢山なお話の中にですね、もう本当に、金光様の御信者ここにあると、金光様の信者一家というのは、ここでなかなきゃならんといったような、見本のような、私は感じで今日は聞かせてもらいましたけれどね。
 本当に、長い信心、何十年しておるということだけが、その値打ちじゃなくて、やはり、生き生きと、やはり御教えがその家庭の中に入りこんで、一人ひとりがその御教えに取り組んで生活をしておるということが、有り難いんだということが分かりますですね。どうぞ。